メラノーマ(悪性黒色腫)と診断がついた時にはステージ3まで進行していた。その頃には左耳から出血するようになり、黒いいぼ状の塊が耳の表面を覆っていた。
こうして2015年8月と11月の手術で、左の外耳、内耳、耳珠、リンパ腺、唾液腺、側頭が切除され、アンシアさんはその後30回超の放射線治療に耐えた。さらには左耳の聴力を失い味覚も消失し、耳鳴りに苦しんだり体のバランスがうまく取れないなどの後遺症に苦しんだ。
「左耳を失った後のアンシアは、自分のことをエイリアンか何かのように感じて苦しんでいた。それでも彼女は強い意志を持ち、前向きな姿勢を忘れなかった」と明かすステイさん。その後、家族とオーストラリアに旅行するなど楽しい時を過ごし、2020年にはメディアのインタビューで「日焼け用ベッドの全面禁止」を訴えていたアンシアさんだったが、2021年初めにがんは肺、脳、両胸、腸、脊椎にまで転移していることが判明した。
ステイさんは「医師に『がんは末期で、残された時間は数か月だろう』と言われてね。胸が張り裂ける思いだった」と当時を振り返り、このように続けた。
「転移が分かった後のアンシアは、自分の葬儀のための音楽を選び、私たち家族のためにビデオ日記をつけるなど気丈に振舞っていたよ。そして僕たちに『全ての日焼けサロンに、私の病気の耳の写真を貼って欲しい』と、最後の願いを託したんだ。タバコのパッケージに警告表示が書かれているようにね。」
なお闘病中、アンシアさんはメラノーマ患者や家族をサポートし、メラノーマについての関心を高めてもらう「メラノーマUK」の最高経営責任者ジル・ナトールさん(Gill Nuttall)との親交を深めていたそうで、ジルさんはアンシアさんについてこのように語った。
「アンシアはSNSを利用して、若者たちに自分の身に起きたことを伝えていたわ。手術後の写真などは痛々しかったけど、彼女はそれを恥じることなく見せていた。なぜなら『日焼け用ベッドの危険性について多くの人に知ってもらいたい』という強い意志を持っていたから…。」
「またプロム(卒業前のダンスパーティ)を控えた高校に行き、生徒たちに自分の経験を語ったこともあったわね。あの場にいた生徒たちはその後、日焼け用ベッドの使用を避け、日焼け用スプレーに切り替えたはずよ。」
「アンシアはメラノーマUKのアンバサダーであっただけでなく、私の良き友でもあったの。だから彼女がいなくなって寂しく思うわ。」
ちなみにイギリスでは2010年、18歳未満のサロンでの日焼け用ベッドの使用が禁止されたが全面禁止にはなっておらず、ステイさんは「こうして自分がメディアに話をすることで、日焼け用ベッドの危険性を伝えることができれば嬉しく思う」と述べている。
画像は『The Sun 2020年2月21日付「CRUEL COMMENTS Richard and Judy beg people to stop trolling sunbed obsessive who had an ear amputated after cancer battle」(Credit: Supplied)、2023年4月30日付「LAST WISH My wife loved having a tan – it made her feel healthy but it destroyed her, bit by bit」(Credit: Focus Features)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 A.C.)