そこに2分でデザインをスケッチしたのだ。
ブロウネル氏が描いたデザインは、文化、言語など全てのものを現す3本の線が収束し、南アフリカ国民が一つにまとまって国を作るという象徴でもあった。しかしブロウネル氏の娘クレアさんは、そのデザインがピースマークに酷似していたため3本の線のうち真ん中の1本を消すように伝えたという。
新しい国旗には約7000ものデザインが寄せられ、その後6点に絞られて委員会や内閣に提示された。ブロウネル氏のデザインもその中に入っていた。委員会や内閣で国旗の決定はなされなかったが、彼らの視線が自分のデザインに注目していることをブロウネル氏は気づいていたそうだ。
国旗の最終決定権はネルソン・マンデラ氏にあった。しかしマンデラ氏はその時、ラステンバーグというプレトリアから離れた場所にいたため、デザインを提示し承認を得る時間がなかった。そこでブロウネル氏のデザインはラステンバーグにファックスで送信され、そこで6つの色が入れられてマンデラ氏に提示され、無事承認された。
国旗は国民の心に浸透し、統一のシンボルとなることが重要であると主張していたブロウネル氏。ムテトゥワ大臣は次のように語り、ブロウネル氏に敬意を表している。
「南アフリカの国旗をデザインした“フレッド・ブロウネル氏”の名前を語る時は必ず、民主化されたばかりの南アフリカの歴史が取り上げられる。彼は南アフリカに国としてのアイデンティティを与えてくれたのだ。彼の死が今回の第6回総選挙および民主化から25年という節目に重なったことは、歴史的偶然ではあり得ない。」
ちなみにブロウネル氏は、南ア州政府の紋章やナミビアの国旗もデザインしている。
画像は『DispatchLIVE 2019年5月12日付「Designer of new SA flag Fred Brownell dies」(Image: Sunday Times/Waldo Swiegers)』『Voxafrica TV 2019年5月13日付Twitter「Designer of South Africa’s current national flag dies aged 79」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 FLYNN)