男女の違いは「子どもを産むかどうか」だけだという意見がある。これは正しくもあり、間違いでもある。
正確に言えば、子どもを産んだ人間(女性)は、そうでない人間(男性)と較べて、その一点においてのみ、おそろしく心理や行動が違うということである。
それを残酷なまでに描写した映画が、巨匠、成瀬巳喜男監督の1966年作品「女の中にいる他人」である。
主な出演者は、名優、小林桂樹、三橋達也そして新珠三千代である。
田代(小林桂樹)の友人・杉本(三橋達也)の妻さゆり(若林映子)が殺された。
その後、田代は妻の雅子(新珠三千代)に罪の意識から自分が犯人であることを告げてしまう。
ここから心理劇がスタートする。
田代は、一貫して罪の意識に苛まされ、自首すべきかどうか日々思い悩む。
一方、妻の雅子は、誰にも知られていない犯罪なのだから、夫婦だけの秘密にしておけばよいと説得する。
ここで象徴的なのは、夫である男性は、社会的・道義的な罪について悩んでおり、その罪をいかにして償えばよいのかを考えている。自首して刑に服すれば、罪の意識は軽減されるかもしれない。
一方で、妻であり母である女性は、平和で安定した生活を、道義的な贖罪のためなどに破壊されたくない。(刑法上の罪でもあるが、発覚していないので映画の上では一応完全犯罪ということになっている。)
夫の浮気と殺人という、二重の裏切りに耐えてすべてを許した上での進言なのである。
次第に、夫婦の思いは別々の方向へと進み始め、そしてついに妻はある計画を実行する・・・。
一般に男性の視点は社会、そしてそれを超えた道義や理念といったものに向かいがちである。
そしてそれが順調にいっているときには、良い仕事ができて、結果的に家庭を守ることができる。
それに対して、子どもを産んだ女性の視点は、子を育てる自分や家庭にストレートに向かっている。
社会のことを考えないわけではないが、自分の子、そしてその子を育てる自分の身上を守ることのほうが重要なのである。
本作は、それぞれの視点が極端にまで行ってしまうストーリーであるが、これは、現在の男女共同参画やワーク・ライフ・バランスを考える上でも、貴重な示唆を与えてくれよう。
結婚を考えている男性にもぜひ観て欲しい映画である。子どもを産んで母親となった自分の妻は、時として自分とは全く違う方を向いてしまうことがあることを、この映画は教えてくれる。
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)