日本ではあまり馴染みがないが、欧米においてキリスト受難劇というのは、芸術表現の一ジャンルとして親しまれている。元になるストーリーは聖書の記述によるから、筋書きが大きく変わることはなく、どういう演出をするかで、見どころが違ってくる。今回は、1964年に発表されたピエル・パオロ・パゾリーニ監督のイタリア・フランス合作映画「奇跡の丘」とメル・ギブソン監督による2004年のアメリカ映画「パッション」を見比べてみる。
まず、パゾリーニ監督の「奇跡の丘」の原題は「Il Vangelo secondo Matteo」(「マタイによる福音書」の意味)であり、タイトル通りに、聖書の記述を徹底的に忠実に描いた類まれな映画である。
聖書は古典であるとともに、キリスト教の聖典であるから、あまり大幅に逸脱するわけにはいかないのだが、パゾリーニ監督は「聖書に書かれていること」だけを淡々と描いている。
聖書に書かれていないことは、一切の演出すら行っていない。その徹底ぶりは圧巻で、有名なキリストが水の上を歩く奇跡は、全くドラマティックな描写なしで「普通に」キリストが水の上を歩いている。
また、キリストが病人を治す奇跡のシーンでは、病人が疫病で汚れた体でやってきて「清くしてください」と言うと、キリストが「清くなれ」と言い、次の瞬間、まっさらに綺麗な体になっている。そのシーンわずか5秒。なんのドラマ性も加えていない。
登場人物のセリフもすべて聖書に書かれていることのみで、キリストが十字架の上で死んで、三日目に復活するシーンも、「ごく普通に」復活している。
奇跡を奇跡物語として描かないことによって、逆にストーリーに真実性が込められるという作品なのだ。
また、音楽の使い方も、バッハ作品と黒人霊歌が脈絡なく使われているという、そのいい加減ぶりが印象的なのだが、作品は非常に絵画的でヨーロッパ的な美に満ちている。
次に2000年代の作品、メル・ギブソン監督の「パッション」は、キリストの受難に焦点を絞って、徹底的な演出を加えた作品である。
この映画は、あまりにも凄惨な拷問のシーンのほうが有名になってしまい、ユダヤ人筋からクレームが付いたことでも知られている。
そして、ストーリーは聖書物語が基本になっているが、そこには神学的な演出や、教会の伝承などが加えられているという意味で、「奇跡の丘」とは対照的な作品と言えるだろう。
たとえば、キリストが十字架を背負って刑場となるゴルゴタの丘に向かう場面で、3度倒れ、聖母マリアに会い、ひとりの婦人から布を受けとり顔の血を拭うのだが、これらは聖書に書かれたストーリーではなく、伝承である。
こうした数々の演出が施された「受難劇(パッション)」なのであるが、芸術表現としては、パゾリーニ監督の「奇跡の丘」とは対極にある作品と言えるだろう。
キリスト受難映画や奇跡物語は、ほかにも多く発表されているのだが、日本でDVDが入手しやすいという点で、今回紹介した2本を推奨しておきたい。
どちらの作品に共感を覚えるかは、人それぞれだが「古典劇の演出はいかにあるべきか」ということを考える上でも、非常に興味深い作品である。
(TechinsightJapan編集部 真田裕一)