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writer : techinsight

【エンタがビタミン♪】「イヤイヤ道場に通っていた」。吉田秀彦、金メダルの裏に厳しい父の影。

1992年バルセロナオリンピックに出場し金メダルを獲得した吉田秀彦が、9月7日放送の「ごきげんよう」(フジ系)に出演し、自らが金メダルを獲得するまでの柔道人生について語った。

吉田が話したテーマは「無茶言うな」であった。そんな吉田が柔道を始めたのは小学4年生の頃である。当時はとにかく悪ガキで有名で、ガキ大将的な存在だった。家の裏のタケノコを全て引っこ抜いて叱られたことや、あまりにいたずらが酷く、厳格な父親に一度だけ銛(もり)でお尻をつつかれたこともあったと明かした。

しかし、そんな吉田が柔道に進んだのはこの厳しい父親の一言があったからだと語った。
当時何の習い事もしていなかった吉田であったが、父親に道場に通うように言われたことから柔道人生を歩み始めた。

その頃吉田の中で柔道は「臭い、デブ、モテない」と悪い印象ばかりで、やる気がなく申し込みに行かなかった。それが父親にバレた事でこっぴどく叱られ、吉田はイヤイヤ道場に通うようになったのだ。当時は柔道が好きというよりは、友達も行っているからという遊び感覚で通っていたと言う。

また中学時代に東京の学校に転入した時も、父親の一言があったからである。その当時吉田の心境は「怖い親父の顔をみなくていいから」という軽い気持ちだった。当然その当時、吉田は柔道への気持ちもそれほど強くなく、オリンピックに行こうなどとも思ってもいなかった。彼自身は接骨院をやろうと思っていたのだ。大学進学も父親の一言で通ったようなもので、柔道に対する気持ちはこの当時も決して強かったとは言えない。しかし大学3年の時、そんな吉田の気持ちが大きく動き出した。「世界学生柔道選手権大会」の優勝だった。その後、彼の柔道への意気込みが大きく一変、1992年バルセロナオリンピックで金メダルを獲得したのだ。

はじめはイヤイヤから始まった柔道であったがその後は大きな功績を残している。やはりその背景には厳格な父親が大きく影響しているのではないか。父親が見出した息子の才能は大きく花開き、今現在の吉田がいるのだ。ちなみに中学の頃吉田を東京に出した時の父親の心境は「かわいい子には旅」という気持ちで、どうせ帰ってくると思っていたと言うのだ。しかし息子は予想に反して戻ってこず、大きく飛躍を遂げた。全てと言っていいほど父親の一言で決めてきた柔道人生、しかし息子を見つめ続けた父親の言葉は決して間違いではなかったのだ。
(TechinsightJapan編集部 うずらの珠子)