久しぶりに読み返してみたら自分でも驚くほど熱くなってしまった漫画「からくりサーカス」。藤田和日郎氏の世界に今しばらく留まりたいと「うしおととら」に手を伸ばしかけたが、やはり人間たるもの過去を振り返り続けるよりも現在から先を見るべきであろう。そこで手に取ったのが「月光条例」、藤田氏が現在週刊少年サンデーで連載しているアクションファンタジーである。
何十年かに一度、地上に真っ青な月の光が届く。すると人間たちが読む「おとぎばなし」の世界がおかしくなってしまうのだ。それゆえおとぎばなしの世界の長老たちは、話し合いの末ひとつの法を定めた。青き月光でねじれた「おとぎばなし」は猛けき月光で正されねばならない――「月光条例」である。
素行不良な男子高校生「岩崎月光」とその幼なじみであり「演劇部」とあだ名される少女の前に、「鉢かづき姫」が現れた。鉢かづき姫が住むおとぎばなしの世界が青い月の光による“月打(ムーントラック)”で異常をきたし、登場人物たちがその役割を忘れて悪になってしまったという。世界を元に戻すために鉢かづき姫が探しているのは月光条例の“執行者”。ひょんなことから執行者の証たる“極印”を押されてしまった月光は、“読み手(にんげん)”の世界にまで害を及ぼそうとするおとぎばなしの登場人物たちと戦うこととなった。
おとぎ話とは不思議なものだ。温かくて、懐かしくて、楽しいのに、その裏には寂しさや恐ろしさが隠されている。子供の頃、アニメで見ていた日本昔話が少しだけ怖かったのは私だけではないはずだ。
その誰もが持っているであろう薄っすらとした恐怖をさらに掻き立てたのが、今から10年以上も前に大ブームを巻き起こしたいわゆる“残酷童話”もの。しかしながら当時出版された関連本の中にはただスキャンダラスな描写ばかりをかき集めた下世話なものも少なくはなかった。だがこの作品は違う。うしとらからの藤田氏のファンであるならば、読まずともこの作品の手触りは想像できるであろう。
夏の午後の強烈な日差し。黄昏に漂うカレーの匂い。無人の砂浜に充満する波の音。漆黒の空からふりそそぐ星々の光。郷愁と同時になぜか恐怖を覚えてしまう情景が誰にでもある。月光条例をはじめ藤田作品にはそういったものを否応なしに思い出させる力がある。
月光条例はうしとらやからくりに比べてコミカルな描写が多い。しかしそれも、藤田作品をよく知るファンからすれば非常にあやういものである。平穏に見える日常はその実、ゆらりゆらりと揺れているやじろべえ。作者のちょっとした悪戯でいとも簡単に落下してしまうのだ。
落下の瞬間は、この作品においてはコミックス6巻現在まで訪れていない。しかし月光が捨て子だったことや演劇部の本名がいまだ明かされていないことなどを理由に、読者は存在するかどうかもわからない闇に対してどうしても過敏になってしまう。
だがその闇こそが藤田氏の真骨頂であることもまた真理。願わくばその闇の向こうに、やはり藤田氏の切り札であるとっておきの希望が残されていますように。
(TechinsightJapan編集部 三浦ヨーコ)