子供時代というのは、幼ければ幼いほど大人を信用・信頼するのではないだろうか。故に、その信じていた大人たちから裏切られたときのショックは計り知れないものがある。その傷は果たして簡単に癒えるものなのであろうか。
「給食の時間に倒した牛乳が、うしろの席の子の机の上と床にこぼれてしまい、担任の先生から(机も床も)全部なめなさいと言われた」
「老朽化した校舎を取り壊している様子を見て「百年近くみんなに勉強させてくれた校舎さんがかわいそう…」とつぶやいたら横にいた校長に「じゃああんたがあの鉄のボールに下にいってかわりになっておいで」といわれた」
「夏休みの宿題で書いた詩が知事賞を取ったが「マスコミがきて学校がさわがしくなる。田舎からそんな子が出るわけない。今から賞ばかりとって中学に入ったら男遊びして勉強しなくなったらタイヘン。お父さんの本でも見たんだろう」と落とされました。」
「身体検査の時、男の子も女の子も一緒にパンツ1枚で廊下に並ばされました。」
「学級日誌を朝一番で取りに来なかったと言う理由で、何も言わずいきなりハンマーの柄(木製)で殴られました。鼻の奥がツーンとしたのを今でも覚えています。」
こんなショッキングな告白が書き込まれているのは、読売新聞が運営している大手小町内の掲示板発言小町に投稿された、『小学校時代の教師にされた嫌な思い出』というタイトルのトピックスだ。トピ主自身も小学校時代に教師から受けた仕打ちを告白し、「みなさんも学校での理不尽な思い出はありますか? 」と呼びかけたこのトピには、現在200を超えるレスがついている。
レスの中には複数に分けて投稿している人もおり、実に多くの人たちが心に傷を追い、未だにその傷を抱えたままであるかというのか赤裸々になっている。
「嫌がらせやセクハラ行為をした教師がその後教頭や校長になっていた」という書き込みもチラホラあるが、昔であればあるほど「聖職者」というイメージが強かった「教師」という職業。故にその肩書きだけで大した度量もない勘違い人間が、人の心の機微すらわからずただただ幼い心を踏みにじったのだろう。そして、その勘違い人間の割合は年々増加しているように思える。以前、現場の人間に聞いたことがあるのだが、最近では、休み時間になるたび職員室の自分の席でDSで遊ぶ教師もいるのだとか。確かに学生にとっては休み時間であるが、教師にとっては勤務時間なのではと突っ込みたいのは記者だけだろうか。
「教師」という肩書きを一度でも持ったことのある方々に是非一度見ていただきたいこのスレッド。我が身を振り返って「自分は絶対にこのようなことはしていない」といえる教師はどれだけいるのだろうか。
(TechinsightJapan編集部 北島要子)